2011年から14年までの日記

2014年04月25日

桜の季節を一足でまたいだ。
街では新緑の葉桜が何も落とさずに揺れていた。電車の中ではたくさんの指が動いていた。公園では見たこともない木の実を拾った。トンネルのように薄暗くて細長い商店街はすみからすみまで歩いていった。街角では誰のものかわからなくなった記憶にぶつかるような気がした。東向きのベランダにはもう日が当たらなくなっていた。最近越してきたアパートから歩いて3分の境内では、ハトを追いかける子供も、追いかけられるハトも起きていて、洗剤の匂いのする人が眩しかった。

彗星のように時が流れてそれでおしまい。
けれど夏にまた戻ってきたいものです。



(19:11)

2013年11月22日

 来週引っ越しをする。今年の5月に全所持金4万円だけ持って不動産屋へ行き、「事情があって明日からでも住める家を探しています、4万円しかありませんが」と言って探してもらった、今の部屋。「4万円。なんとかしましょう。うん?うんうん、ここにしましょう、ここしかありません、うん。」といわれなんだか腑に落ちないまま住み始めたこの部屋。以前住んでいた部屋から北西に数キロ移動しただけの、引っ越して3日目にゴキブリのでたこの部屋。5月から10月まで寝袋で過ごした部屋。一度も返事を出した事がないのにこの部屋あての手紙を書き続ける人が隣に住むこの部屋。太陽も月の光も1日に数十分間しか差し込まない、この部屋。215号室。このことを知ってか知らぬか、216号室の住人は「帰る時が来たようですね」という言葉から始まる手紙を僕の部屋のドアに隙間に挟んだ。壁が薄いのか、僕の声が大きすぎるのか。
 

























(23:34)

2013年10月04日

 昨日、谷町9丁目でライブがありました。見てくれたかたがた、どうもありがとう。共演は香川県から来られていた小野シンさん、同い年の山田孝典さん。小野さんの「みんな閉じられた本の中で歌っている」という歌詞や、山田さんの「宙へ、宇宙へ、宇宙、遊泳ー」と歌う姿が印象に残った。記憶違いだったら申し訳ないです。
 日が明け暮れ、どんな言葉にもできない凄惨な夢を見たあと僕は近所の歯医者さんへ行った。2ヶ月もの間この暮らしを悩まし続けた歯の痛みとお別れするためだ、インターネットで場所を把握、加えて携帯のカメラで地図の画像を撮っておいた。にもかかわらず場所わからず、携帯探す、ポケットに携帯なし、いざ団地妻に道聞きぬ、小児の母「その四つ角を右に曲がりて、実直に、左方に歯科医院あり」、しかし場所分からない、歯医者なし、しばらくあたりを徘徊した後に「北へ150メートル」と書かれた看板を発見、指示に従い、やっとたどり着く。
 1時間待つ、長田弘の「詩は友人を数える方法」を読み進める。 彼は北アメリカ大陸を旅しながら、その広大な風景を見、読み、考え、文章を紡ぎながらアメリカ人の詩を、無名の生活者たちの沈黙を引用しようと試みる。バルチモア、ナッシュビル、テネシー、ジョージア・・・・昨日のライブで、僕の歌を聴いてくれた人が僕のルーツを尋ねた。(「君はどんな音楽が好きなの?こんな音楽が好きじゃない?」という疑り深く、時に思い切って取り交わされるこんなやり取りは、ライブに慣れていない僕にはすごく刺激的だ)その時にアメリカ、ネオアメリカン、尾崎豊という名前が飛び出した。アメリカ、ネオアメリカン、尾崎豊・・・自分が影響を受けてきたものの名前を取り出してみるが、ただちにはそれらと結びつかない、しかしよく考えてみると自分の好きな音楽家たちの多くはアメリカにルーツを持っていることに気付く。尾崎豊は、ジャクソンブラウンが好きだったみたいだ。それにホイットマン、ポー、ジャズ、ゴスペル。そうか、そうなのか。

 ところで虫歯に悩まされ、歯医者に通う時間がないあなたに、こんな詩を
 

 ーはげしい歯痛に耐えるために
 高等数学に熱中する初老の男のエピソードが
 「魔の山」という小説のなかにあったっけ
 そして主人公の「単純な」青年の葉巻は
 マリア・マンチーニ

 どうして葉巻の名前なんか
 ぼくはおぼえているのだ 三十三年まえに読んだドイツの翻訳小説なのに
 ぼくも歯痛をこらえながら詩を書いてきた
 歯痛に耐えるためにというべきかもしれない
  ところがぼくの詩ときたら
 高等数学とちがって 
 歯痛をかきたてるのだ 歯痛には
 いつも新鮮な味とひびきがあって
 生まれたときから何回も経験してきたくせに
 この痛みの新鮮さにいつもぼくは驚かされるー
(「夜間飛行」田村隆一)

 

(22:09)

2012年03月05日

 3月3日、生まれて初めてのワンマンライブがありました。それから訳の分からぬまますごいスピードで時が経ち、そうだいたい30時間くらい経った。今も、本当によかったのかどうか、分からない。
 もっと音楽について知りたいと思った。
 1人で最後の歌を歌っている時、こんなこと、なんになるのかと思った。
 ときどき、春は夏になり、夏は秋に変わることがある、秋はよく冬に移ろうし、冬はあるいは春へと伸びて行く、やがて夏が影を太くしていく、秋は夏に取って代わり、その影を引き延ばして行く、かもしれない、その後には偶然にも冬が。そして、期せずして、はからずも、なにかのはずみで春が、来る。かもしれない。
 その度に心臓がどくんどくんと言う、心臓が止まれば終わりだ。それは僕にとっては情熱、また、理性。
 音楽に興味がある。体や楽器から湧き出るメロディーや倍音には際限がない。
 ライブに来てくれた方々へ、演奏に耳を傾けてくれたことを自分の誇りに思います、
 ありがとうございました。
 また会場であったLazy dog cafe、オーナー、優さん。演奏の手伝いはもちろん、ライブの準備、本番中の雑務をこなしてくれた友人たち。素晴らしい演奏で会場を暖めてくれたゲストのうたいむし、滝元和範(滝元くん)への感謝の念、恋のような気持ちを。どうか変わらないでほしいと思える。22にもなって!
 
花束をもらった。部屋中にけぶるはなのにおい、とても嬉しい。
 

春、来る
かなしみのために
雨の1番通り

しゃぼんの街
もうすぐ冬
雪の記録
ハナ
告白
つらいあこがれ
やわらかいひび
無題

春、来る

 
 
 
 
 


(06:56)